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大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)4304号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕一 原告が、被告林一馬の先代亡喜之助に雇傭され、同人の経営する鋳物工場に工員として勤務していたことは当事者間に争いがなく、その雇傭された時期は、<証拠>によれば、大正四年秋ころであることが認められる。また、喜之助が昭和一三年一二月二一日被告会社を設立し(ただし、当時の商号は合資会社林合金鋳工所)、その無限責任社員となり、原告との雇傭契約上の地位を同会社において承継するに至つたこと、昭和三七年一一月二九日、被告一馬が喜之助にかわつて、同会社の無限責任社員となつたが、同会社は昭和四一年二月一日鋳造業を廃業し、原告は同日同会社を退職するに至つたこと、そして、同会社は、同年五月二一日その商号を現在の林産業合資会社と変更したことは当事者間に争いがない。

二 ところで、原告は、被告会社との間に退職金の支払に関する合意があつた旨主張するので按ずるに、以下説示するように、この合意の存在を認めることは困難である。

すなわち、被告会社は、小企業であつて、退職金規程など退職金に関する明示の規定をおいておらず、原告との労働契約においても、退職金に関して明示の取り決めをしていなかつたことは弁論の全趣旨から明らかであつて、原告の主張によれば、その合意は、原告の退職までの永年にわたる勤務状態および使用者たる喜之助、被告会社設立後はその代表者としての喜之助の日頃の言動から、そのように解せられるというのである。そこで審按するのに、<証拠>を総合すれば、原告の雇傭関係の経緯およびその間の喜之助の言動としては、以下のような事情が認められる。

原告の父伊太郎は、かつて鋳造業を営んでいたが、大正の初年、原告が一五才のときに倒産して死亡したため、原告は、その後約二年の間、同業の高山鋳物工場に働き、一七才のとき、右高山の弟子格にあたる林喜之助に雇傭され、同人の経営する鋳物工場に働くこととなつた。同人の工場は、銅合金の鋳物を製造しており、仕事の性質もあつて、従業員は終始四、五名を出でぬ極めて小規模な企業であり、その雇傭関係も、日給制で労働条件については特に明確な取り決めもなく、徒弟関係さながらの主従の関係にあつた。このような状態は、被告会社が設立された後においても特に変化はみられず、喜之助の存命中は、雇傭関係を含めて経営はすべて喜之助個人の意思によつて行なわれていた。このような状態であつたから、賃金は他に比べて高くはなかつたが、職人の出入も極めて少なく、職人たちは昔ながらの喜之助との主従の関係に甘じ、あえて近代的労使関係の確立を迫るようなことはなかつた。一方、喜之助も、主人としての立場から、また、職人の引き止め策のうえからも、職人達の生活や将来については、少なからず気を配り、昭和二〇年五月ころ、戦火で工場閉鎖の止むなきに至つたときには、生活の資とするようにと原告を含む四人の職人に各一万円づつを与えるなど職人達の面倒をみるとともに、職人たちに対し、日頃から、将来は面倒をみるから他所へ移らないようにといい含めていた。ことに、原告は、最も古参の職人であつたから、喜之助の信頼もあつく、昭和三三年二人の職人がやめたときには、「二人やめたので、工場は困つている。お前はやめんといてくれ。先では悪い様にせんから。」といい、昭和三六年職人が一人やめたときにも、「放つとかんからやめんといてくれ。」といい、ことに昭和三八年古い同僚の榊原進太郎がやめたときには、相当なショックを覚え、「先は放つておかんからやめんといてくれ。」と重ねて残留を懇請した。しかし、喜之助は、昭和三七年ころ病臥し、そのころから、被告会社は赤字を続け、昭和四一年には、工場閉鎖の止むなきに至つた。

以上の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。ところで、この事実によれば、喜之助が、使用者として、また被告会社設立後はその代表者として、原告に対し、将来の生活について少なからぬ配慮を約したことは認められるが、そのことから、直ちに、その趣旨が原告の主張するような意味において、退職金の支払を約したものと解することはできない。すなわち、右認定事実からすれば、原告と喜之助の関係は、雇傭関係を基礎とするものとはいえ、約五〇年に及ぶ主従の関係であり、単なる権利義務の関係をこえた全人格的なつながりである。このことは、原告自身も強調するところであるから、右の言葉の趣旨も、またこの背景において理解するのが、当事者の意思に合致するゆえんである。そのように考えれば、右言葉の趣旨も、いわゆる「のれんわけ」のようなものを念頭においたものであつて、原告が将来独立するときは、その時々の事情により、できる限りの援助を惜しまないといつた趣旨に解するのが相当である。したがつて、その援助の仕方には様々な態様がありうるとともに、その額や程度も、企業の業績や社会経済的事情に応じて変化しうるものであつて、場合によつては、単なる退職金以上のこともありえたと考えられるのである。そして、このような援助の内容は、そのときの相互の個人的信頼関係に基づいて自主的に決められるべきものであつて、法律によつて、これを強制しうべきものとはいえない。いやしくも、契約上の権利義務として法律により強制しうるものであるためには、その内容がだれひとにも明確なものとして確定されていなければならない。したがつて、前記のような全人格的信頼関係に基づく不確定な約束は、そのような関係において理解し、かつ処理されるべきであつて、これを契約関係として、法的保護を求めることはできない。契約の解釈にも信義則が適用されるべきことは原告の主張するとおりであるけれども、本件において認められる喜之助の約束は、右にいう契約とはいい難く、原告の主張するような退職金請求権を発生させるものとすることはできないのである。

三 もつとも、<証拠>によれば、被告林一馬は、被告会社の代表者として、廃業当時残留していた原告を含む四人の職人中、榊原(同人はその後再び雇傭されていた。)には一〇万円、他の二人には各五万円を退職金として支払い、原告にも一〇万円の退職金を提供したこと、さらに榊原には、喜之助の妻シカからさらに一〇万円を一万円の月賦で支払つていることが認められ、被告会社が原告にも退職金の支払の意思を表明していることは明らかである。しかしながら、その金額は、特段の合意が認められない以上、当然に右退職時の退職金の相場によつて決せられるものとはいうことができず、前記説示のような喜之助の意思をも生かし、信義に基づいて当事者が決すべきものというほかはない。<後略>

(千種秀夫)

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